世界平和はどこにある?
世界平和を望む人は多いけれど、それぞれの環境や価値観、考え方があるからこそ、争いは絶えない。
誰もが納得し、理解する、そんな「正しい」答えがない限り。
各々の正義を貫き、信じ続けること自体を、否定することはできない。
みんな、悪くない。
でも、だからこそ争いは絶えない。
考え過ぎることからは、何も生まれない。
石橋を叩き過ぎて、結局、渡らない。
橋の安全性を確かめて、極力、リスクを減らす意図は分かるけど、結果的に、行動しないという致命リスクを背負う。
考え過ぎは何も生まないどころか、減らし続けてしまう。
考えようと思った瞬間、一歩踏み出す。
つべこべ言わず、一歩踏み出す。
あっ、と思った瞬間、一歩踏み出す。
その一歩に集中すれば、いずれ、千里の道になる。
行動が億劫になる人が、瞬足で動ける人間になるためには。
それは、ただ一つ。
無理やり、環境を変えること。
この無理やりがポイントです。
ある程度習慣化されたことは、中々自分の意志だけでは変えにくいし、考えるだけではいつの間にか元に戻っていってしまう。
経験者は語るっていうやつ。
変えたいけど、変えれない。
そんな時は自分の感情を当てにしても、ダメだ。
それも習慣化されていて慣性の法則が作用している。
つべこべ言わずに、
強制環境変化
だ。
それが、本当に自分を変えるきっかけになる。
というわけで自分も変えたいことが多すぎる(泣)から、強制的に変化していこうと思う。
正直であることが、世界を救う。
ぼくは嘘つきだった。
今も完全に正直になれているとは言い切れないけど、
昔の自分に比べたら、だいぶ、正直になれた。
ここでも書いたけど、
いろんな経験をさせてもらい生活(=仕事)をする中で、その生活のその先にあるのが無意味だと感じた瞬間に、一気に、働く気がなくなる。
というか、働くことで、自分が仕事をすることで結果的に、首を絞める人が少なからず、居るから。
生きるだけで、誰かを苦しめ続けている。
でもその事実を受け入れられれば、正直に生きていくことができると思う。
社会貢献して、しっかり儲けよう。
僕は今まで、「金儲けのため」だけに働いてきた。
大学卒業して一部上場企業の建材メーカーへ。
福利厚生もしっかりしているし、給料もまぁ申し分ない。
ルート営業だけど日々激務で、やりがいを感じるということにはほど遠い感じだった。
その次は、訪問販売。
新卒で入った会社も建築業界だったけど、ここでも一緒で一軒家のリフォーム
営業だった。毎日、個人宅をピンポンし(一日100件くらい?)、「お家の排水管洗浄しませんか」と営業し、その日の内に契約・洗浄。
さらに、コミュニケーションを取って、話題を家に振って、屋根やら外壁やら内装やらのリフォーム契約をいただくというやつ。
まぁグレーな感じ。
その時の営業経験は貴重な経験だったけど、お客さんの気持ちやリフォームした方がいいですよというより、自分たちの利益が最優先だった。だからアフターフォローなんて、あってないようなもんだったし、常に罪悪感で営業していたような気がする。
そんで次の仕事は、飲食業界。
某ホテル内にあるレストランなんだけど、そこではお客さんの気持ちに出来るだけ寄り添えるような仕事ができたかなと思う。ただ、そこに来るお客さんが全てではないけど、富裕層の人が結構多かった。
だからそういう方のお話を伺っていると、
「え、そんなやり方でお金稼いでんの?」
「え、稼いだお金をそんなことに使ってんの?」
と思うことばかりが多かった。
レストランの次は、ホテルの宴会の現場も覗いてみた。
やっぱり、構図は同じだ。
単なる金儲けビジネスで得た金を使ったパーティ、ゴマすりすりなパーティ、親睦を深めるという名で無駄に金を浪費するパーティ。
そんな活動を見れば見るほど、自分の心は荒んでいった。
「おれは何してんだ?こんな浪費するだけの活動(=仕事)をしてていいのか」
*
社会貢献って、何だろう。
人によっては、上記のような仕事も立派な社会貢献だという人がいる。
でもそもそも、どんな範囲のことを「社会」と定義し、さらに、どこに向かうことが「貢献」と呼べるのか。
この方が面白い感じのを記していたので、シェア。
「誰かが笑うと、誰かが泣く」
これは、昔にふと思い浮かんだことなんだけど、やっぱり、間違っていないと思う。
これが良い悪いは置いてといて、今、この瞬間に、自分がお腹いっぱいであると同時に、空腹になる人が居てる。
社会は、地球は、全て絶妙なバランスで成り立っていると思う。
それを事実として自覚しておくべきだなと思う。
最後の最後の答えは、自分に聞け。
人からアドバイスされて悩んでも、
最終的には自分の心に問いかけて、返ってくる答えが正解だ。
間違いなく。
自分の答えに自信がないという人は、そもそもそれは、自分の答えじゃない。薄っぺらの世界の常識で作られた虚構の答えだ。
そんな答えをまともに信じてしまったあかつきには、さらに、路頭に迷ってしまう。
自分の本当の答えは、
どんなに周りから批判されても、貶されても、
自分の心が納得していること
でないと意味がない。
モヤモヤが晴れ、スッキリとした明確さを持ったもの。
それが本当の答えだと思う。
そういうものが掴めるまでは、ひたすら、もがき苦しみ、追及し続けるべきではないかと思う。
でないと、死ぬ瞬間はきっと、不幸だから。